垢 離
都内は櫻満開のお花見日和
薔薇の新芽も伸び 春本番です
彼岸前には、近隣の主か?行き倒れのカエルも
近くのビオトープには、とぐろを巻いた寒天質の卵塊が揺れて
おたまじゃくしも出てきそう
さて 亡父の事務手続きも2、3残しておおかた終了
交際が広かった父は、入院中も見舞客の応対に家族が難儀した事は記しましたが
友引を挟んだ葬儀までの5日間も、自宅には相変わらずの弔問客で、葬儀屋との打ち合わせに支障がでる始末
東京オリンピックの前年、祖父を自宅で見送ったように今回もこれで十分、と思うも、今のように式場葬が一般的になったのは、いつの頃からでしょう?核家族化が進み、葬祭文化や価値も多様化した80年代以降か? 25年前の祖母の寺葬の折も、既に自宅葬は少なくなりつつありました
昔の自宅葬では、隣組(隣保班)が炊き出しや事務方一切を引き受ける慣習があり、近所の割烹着を着たおばさんたちが、鍋釜持ち寄り、炊き出しをする、、これは、悲しみの渦中の家族を労わる相互扶助もありましょうが、悪く言えば、プライバシー無き時代の近隣監視システムでもあり、現況に至った事由は時代の推移とともに納得できます
今回は寺とのやりとりも義父母の檀家寺とは違い、至極スムーズに四十九日もなんなく終了しました
が、、
あえて言うなら…
通夜の晩、来ないと予測し、連絡だけはした関西在住の母方従妹が
通夜終了後の23時過ぎ 叔母の代理と称し突然のTELでやってきて 実家に宿泊
遠方から来た苦労を労い、父の想い出話をしていると、やおら大きなショルダーバッグから用紙を取り出し、勧誘が始まる、、、とある新興宗教法人のパンフを広げる深夜25時 署名と献金を と、専用封筒を出して滔々と、、、(呆)
それでなくとも困憊の晩、明朝の髪のセットや着付けの段取り、事務方へのお礼数を確認し早く休みたい処
従妹とはいえ余りの配慮の無さに腹腸煮えくりかえる感情をグッと堪え、ここで喧嘩して今生の別れをしても、わたしとしては何の差し障りも無いのでしたが、この晩の母の血圧値が上昇していた事、翌(当)日の本葬を慮り とりあえず静かに収めて就寝していただきました
翌朝は、昼に大阪に戻る旨で、6時半 葬祭場にて棺の父と対面させ、7時の新幹線に間に合うように駅まで車で見送りながら、わたしは睡眠不足と憤りで混乱しつつ 言いたい事を飲み込み葬儀の朝を向かえました
人の生き死にや病に接し 祈りの感情や宗教心がおのずからうまれるのはごくごく自然なこと
公的宗派に属するしないということではなく 無垢な感情としての祈り 願い 崇高なこころもち は大事にしたいと想いつつ 余命少ない父のこの一年に接してきたつもりです
かつての寺は、今でいう大学のごとき専門学問所であったというのに、明治以降の政策によって葬式仏教が機能として残り、今を生きる現在への示唆の場としての宗教的機能はほぼ消失
代わってよく見かけるのは新興(献金)宗教で、金ピカ茶室だの大きいだけの大仏だの、偶像を祀り、どう考えてもわたしには信じがたいモノを奉るシューキョーとやらが 現世利益を大仰にうたう
この遠方からの従妹だけでなく、父の病から葬儀・彼岸までの間、あからさまな勧誘はなくとも、この機を狙っての、新興宗教に入れ込んでいる?縁者からの接近がいくつかあったのは事実です
信教は自由 布教活動も自由
しかし まぁ お前もか、、 と 意外や意外 同年代の女性の多いこと
この末法の世ですから
世の中 人のこころをお金で買うカミサマ が そこいらじゅうに 掃いて捨てるほど いらっしゃるようで
ほんとに びっくり あんぐり
(或は 人のこころをお金で買えるカミサマ を 作る人 が居る)
もしや こころに埃がついているのは わたしのほうかも という多少の疑念を持ちながら、、。
画像は 上・下 Pinterest より