もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

霜月つごもり ときわぎに祈りを込めて 死と再生の祭りを想う

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     ベリー公大時禱書より 12月 1409年 パリ国立図書館

2016年のカレンダーも残り一枚となり、この一年を振り返る話題が多くなりました。

11月は、都心でも積雪を観測するなど冬の到来が早く、既に流感の話も耳にしますので、何かと多用になる12月1月は、ことに健康には留意したいものです。

 

さて時節は冬至(今年は12月21日)に向かい、日没が日毎に早まっています。街のLEDイルミネーションが落葉した木々に美しく輝き、長い夜とクリスマスを盛り上げているのでしょう。12月は、わが家も子どもがちいさい頃にはツリーを飾り、プレゼントお楽しみ作戦やご馳走計画を練るなど、大人も愉しんでこの時を過ごしました。

 

12月に、いつも妙なカンカクを味わうのは

クリスマス終了後の26日から、世の中はいきなり松竹梅のお正月モードに切り替わり、掃除やら新たな飾り付けや年末年始の食材準備でせわしなくなることです。

元来、八百万(やおよろず)の神様たちがそこかしこに居た(今も居るのかもしれませんが)この国のことですから、経済効果さえ見込めれば宗派無用の何でもOK、カモーン迎合?その身替りの早さにはたじろぐことしきり。クリスマスも日本文化に定着し、果たして何の祭りやら意味不明になっているのが現実か(笑。

 

わが家も、既にツリーを飾らなくなって久しく、替わって場所を取らないリースを飾るようになりました。近年は、コスパの良い、月をまたいでも飾れる常盤木(ときわぎ)のフレッシュリースを好んで飾っています。流行もあるでしょうが、ミニマルなオレゴンモミだけのものもあり、針葉樹の深緑から褐色に朽ちてゆく過程が愉しめ、ヒノキチオールのような薫りもなかなか好いものです。

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お正月の松と喧嘩しそうな懸念もありますが、そこのところは、徴(しるし)として共通する常緑樹(ときわぎ)のカミサマ?にお願いして、どうぞ仲良く末永くとお願いしましょう(笑。

 

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 画像集積サイトPinterestで遊ぶうち、yuletide(北欧クリスマス)が、キリスト教流入前の古来の冬至の祭りに由来し、昼と夜の神、光と太陽を祭る神への祈りであることを知りました。

ときわの命の徴(永遠に続く命のしるし)として常緑樹を飾り、長い夜のこの冬至の時節に収穫への感謝とともに豊穣を祭るものなのですね。

ブッシュドノエルのケーキや、ヤドリギの飾りも、古くから祭られた神への捧げものに由来しているようです。

Mistletoe(ヤドリギ) (男根の寓意があるとは知りませんでした)

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師走の日本でも、全国各地で夜を徹した祭りが多くあるのも、冬至と何か関係があるものなのか? 近くの寺の祭りも、夜通し護摩焚きをして念仏を唱え、賑やかな市も立ち、収穫の豊穣を祈るもののようです。

祭りカレンダー 全国版 12月

 

古い祭りの習俗には、長い年月のうちに時の権力に折り合わず、弾圧を受け跡形もなく消滅したものやら、土俗的風習のみが引き継がれ残ったもの、上手く生き延びたものやら、少し歴史をふり返ると面白く見えてくるものもあります。

大きな権力構造に巻き込まれ、滅び去った祈りのかたちの片りんを見つける時、そこに生きた多くの無名の人たちの祈りの声を聴いたような思いが湧きあがり、宇宙の塵に向かって手を合わせたくなります。

ともすると、大きな力に抗いつつも、滅んでいった真摯な市井の人々の祈りの中にこそ、ほんとうのさいわいを求める 何か があったのではないか…と。

 

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 今年のリースは、常盤木のもみを選びました。

 

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