埴 生
田舎の母校の旧い女子高では
かならず校歌を唄う前に 「 埴生の宿 」 を唄いました
<埴生の小屋> <埴生の宿> の意は
土の上にむしろを敷いて寝るような粗末な小屋。また、赤土を塗ってつくった小屋ともいう。みすぼらしい家。賤(しず)が伏屋(ふせや)。はにゅうのやど。はにゅうのおや。
古里ふるさとの茅屋を懐かしむ長閑な唄です
実家での夜更け、長風呂に入っていると閻魔蟋蟀の声にしばし秋の風情を感じましたが
近日、3軒隣に、コンビニが開店し終夜点る真昼のような蛍光灯に草叢の蟲もどうなることやら、、、
高速へ向かう田舎の国道脇からは
銀の穂を附けた尾花が午後の陽光を受けて揺らぎ
稲の穂もこがね色に近づきつつあるのが見えました
5月から、自宅と実家の往復もこれで何度になったか?
時間の感覚があちらとこちらであまりに違うため
海外から帰ったわけでもないのに、こちらの生活時間に体が馴染むまで1日かかります、、、
父は、なんとか口から食事ができるようになり
腸ろうを止め、腸ろう管を着けてほぼ40日
用済み後も、食道から分離された宙吊りの胃にしばらく接続していた管自体も外すことができ、退院の運びとなりました
父が待ちわびていた秋に出産予定の曾孫は
問題あって超低体重児として8ヶ月705gで帝王切開で誕生
人工呼吸器はまだ装着されつつ、母子の状態も落ち着きはじめ
しばらくNICU入院は続くようですが、なんとか体重も増え始めたようです
2つの山を越えたのは それぞれの命なのでしょう
命が産まれ滅びるまでには
吾が身ではどうにもならない
吾が身をあちらの領域に預けるが如き さまざまなドラマに出逢うものです
ここしばらく形而下の問題で右往左往しつつ
急に形而上的な活字が戀しくなった秋のはじまりです、、。
画像上:Serpentine Gallery Hortus Conclusus by Peter Zumthor and Piet Oudolf
画像中・下: Bruder Klaus Chapel:Peter Zumthor