もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

遡 行

卯月 つごもり

藤棚には 垂れ花が満開で

躑躅・杜若・菖蒲も けざやかに 薔薇もそこかしこに咲き出しました

今年は 櫻と欅の芽吹きが同時にやってきて

山に向かえば この卯月ひと月の さかしまな植物の時間の遡り

父が残した さまざまなものもの の廃棄には

想いの残る物 が ことさら厄介で時間がかかり

手を留めれば そのまま再び 置き去りの遺物になりかねず

かつては わたしや姉の部屋であった場所が両親の不要物納戸と化して20年近く

生前の父が少しは手を入れた気配は感じられても 老母には片付けの気力はとうに失せ

古い家具家財・書籍・スクラップブック・衣服・がらくた、、、わたしの七五三の着物のたぐいまで

あまり考えずに、端から処分してもなんの問題も無い ものもの に違いはないのですが

母に意向を尋ねれば 決まって 保留  

嗚呼 人の生は物をまとう時間であり その欲求が無くなれば もうおしまい か?笑、、

 

しだいに 飽き飽きし 煮詰まり気味の片付けの時間です

少し 気分を換えるつもりで 夏鳥の唄でも耳にしたく 山へ行くと

上は まだ残雪の山肌が白く 裸樹が寒々と芽吹き前

下るにつれて 櫻・ミツバツツジの赤紫が色を添え にこげなる新緑がうつくし

キビタキオオルリクロツグミが 沢にこだまして清々しい

碓氷峠 めがね橋(画像上) 

旧丸山変電所跡(画像中・下)http://www.funkygoods.com/hai/... 

碓氷峠を制覇したいという 愚息の運転で旧道を下り、めがね橋観光をしていると

元祖鉄オタ?笑 もとい 鉄オフ会らしき中高年のおぢさま連中に遭遇し しばらく碓氷湖・横川釜めし屋、、道中3ケ所を出くわし

博覧強記風?なんでも聞いてくれ といわんばかりの彼等にお伺いし 旧変電所跡に辿り着きました

数人のおぢさんたちは、ここからトロッコに乗ったか乗らなかったか?かなりの健脚のご様子で、鉄道文化むらからの遊歩道を指南、、、なるほど線路沿いに在る旧変電所跡は、鉄オタには簡単に分かり易くとも、車移動のわれらには、ひじょう~に分かりにくい場所にあり、しかも現在は昨年の火災により営業停止している峠の湯が最寄り駐車場のために、重要文化財ながら、旧道沿いに看板が見当たらず、、ナビさますら迷って、、たいへんでした(笑

されど 櫻吹雪と新緑の中の煉瓦作りの建造物はなかなかで、紅葉の頃は更なり なことでしょう

高速や新幹線が開通し 素通りしがちな場所でしたが 

今回は した道を降りて正解でした。

遡 行の画像

遡 行の画像

遡 行の画像

垢 離

都内は櫻満開のお花見日和

薔薇の新芽も伸び 春本番です

彼岸前には、近隣の主か?行き倒れのカエルも

近くのビオトープには、とぐろを巻いた寒天質の卵塊が揺れて

おたまじゃくしも出てきそう

さて 亡父の事務手続きも2、3残しておおかた終了

交際が広かった父は、入院中も見舞客の応対に家族が難儀した事は記しましたが

友引を挟んだ葬儀までの5日間も、自宅には相変わらずの弔問客で、葬儀屋との打ち合わせに支障がでる始末

東京オリンピックの前年、祖父を自宅で見送ったように今回もこれで十分、と思うも、今のように式場葬が一般的になったのは、いつの頃からでしょう?核家族化が進み、葬祭文化や価値も多様化した80年代以降か? 25年前の祖母の寺葬の折も、既に自宅葬は少なくなりつつありました

昔の自宅葬では、隣組(隣保班)が炊き出しや事務方一切を引き受ける慣習があり、近所の割烹着を着たおばさんたちが、鍋釜持ち寄り、炊き出しをする、、これは、悲しみの渦中の家族を労わる相互扶助もありましょうが、悪く言えば、プライバシー無き時代の近隣監視システムでもあり、現況に至った事由は時代の推移とともに納得できます

今回は寺とのやりとりも義父母の檀家寺とは違い、至極スムーズに四十九日もなんなく終了しました

が、、

あえて言うなら…

通夜の晩、来ないと予測し、連絡だけはした関西在住の母方従妹が

通夜終了後の23時過ぎ 叔母の代理と称し突然のTELでやってきて 実家に宿泊

遠方から来た苦労を労い、父の想い出話をしていると、やおら大きなショルダーバッグから用紙を取り出し、勧誘が始まる、、、とある新興宗教法人のパンフを広げる深夜25時  署名と献金を と、専用封筒を出して滔々と、、、(呆)

それでなくとも困憊の晩、明朝の髪のセットや着付けの段取り、事務方へのお礼数を確認し早く休みたい処

従妹とはいえ余りの配慮の無さに腹腸煮えくりかえる感情をグッと堪え、ここで喧嘩して今生の別れをしても、わたしとしては何の差し障りも無いのでしたが、この晩の母の血圧値が上昇していた事、翌(当)日の本葬を慮り とりあえず静かに収めて就寝していただきました

翌朝は、昼に大阪に戻る旨で、6時半 葬祭場にて棺の父と対面させ、7時の新幹線に間に合うように駅まで車で見送りながら、わたしは睡眠不足と憤りで混乱しつつ 言いたい事を飲み込み葬儀の朝を向かえました

人の生き死にや病に接し 祈りの感情や宗教心がおのずからうまれるのはごくごく自然なこと

公的宗派に属するしないということではなく 無垢な感情としての祈り 願い 崇高なこころもち は大事にしたいと想いつつ 余命少ない父のこの一年に接してきたつもりです

かつての寺は、今でいう大学のごとき専門学問所であったというのに、明治以降の政策によって葬式仏教が機能として残り、今を生きる現在への示唆の場としての宗教的機能はほぼ消失

代わってよく見かけるのは新興(献金)宗教で、金ピカ茶室だの大きいだけの大仏だの、偶像を祀り、どう考えてもわたしには信じがたいモノを奉るシューキョーとやらが 現世利益を大仰にうたう 

この遠方からの従妹だけでなく、父の病から葬儀・彼岸までの間、あからさまな勧誘はなくとも、この機を狙っての、新興宗教に入れ込んでいる?縁者からの接近がいくつかあったのは事実です

信教は自由  布教活動も自由

しかし まぁ お前もか、、 と 意外や意外  同年代の女性の多いこと

この末法の世ですから 

世の中 人のこころをお金で買うカミサマ が そこいらじゅうに 掃いて捨てるほど いらっしゃるようで

ほんとに びっくり あんぐり 

(或は 人のこころをお金で買えるカミサマ を 作る人 が居る)

もしや こころに埃がついているのは わたしのほうかも という多少の疑念を持ちながら、、。

画像は 上・下 Pinterest より

  

垢 離の画像

垢 離の画像

垢 離の画像

駆 込

、、弥生は雛の節句も終りましたが

まだ寒い春待ち月

風が吹けば桶屋のたぐいで、仕事が平常に戻りつつあった大雪の後

また椎間板ヘルニアが再発し 身動き取れない状況に(泣)

しかしまぁ 2週間が過ぎると、人の細胞はぐるりと入れ替わる?

痛みと痺れは残っていますが、ようやく人並みに歩けるようになりました

昨年の痛みの記憶が経験値としてありましたので

なんとか歩ける内に、町医者で電流ピリピリ治療後、鎮痛頓服薬を貰いましたが

その晩から炎症が酷くなり、発熱・嘔吐、寝返りも打てない反射の激痛

気が附くと肢が無くなっているのでは?という悪夢も長い夜に浮かんだり

まっ、、それは大丈夫でしたが(汗) 3日近く這い蹲りの日々でした

どうにもならず休日診療の総合病院に駆け込み、気休めにブロック注射をお願いすると

本勤務は大学病院で、腰痛専門医だというその人は 「 今日は止めておきましょう 」 で

全く効き目の無かった頓服薬よりも強い効き目の座薬を処方し

足腰の動きを確認し、MRIの予約をしてひとまず終了

混雑して待たされた会計待ちの時間に、年配のおばさまに話しかけられ耳傾けていると

彼女は、月2回の整形外科休日診療担当医をお目当てに、埼玉からこの病院まで通院しているとか

難病を抱えてさまざまな病院で十数回の手術を受けながら、都内大学病院で出逢った信頼できる執刀医だという話で 「あなた、飛び込みならラッキーよ」 と言われ、そんな追っかけ患者が何人も遠方から来ている休日外来だという話でビックリ!

何がラッキーで何がアンラッキーなのかよくわからない状況ですが、執刀をお願いするわけではなく、わたしとしては、こちらの質問に的確にふつうに返答していただければそれで十分で、強いて言うなら、休日急患で混み合う患者を大きな声でテキパキ裁き、待ち90分に対して診察5~10分で処理して午前終了な仕事っぷりですから、使える医師なのでしょう

一週間後のMRIの結果は、脊髄間隔の狭い1箇所に、確かに認められる突起が神経を圧迫し痛みが発生しているという予測通りの画像診断で、やはり町医者と同様、長らく付き合ってゆく病気であり、手術したとしてもその箇所は治癒できても体質的に別の箇所にまた疾患が起こる人が多数あるとのこと

緩和ケアしながら、内臓筋を鍛えたり姿勢を整える体質改善を試みましょう、、という昨年と同じ着地点でした

やれやれ また、振り出しに戻った感です

父も草葉の陰で 少し静養を勧めているのかな と都合よく解釈し

実家や母のこれからのことなどを真摯に考えてみたいと思います、、

それにつけても この増税

駆け込み買いしたいもの多々あれど

フットワーク悪くてままならず 買い貯め出来ずにもんもんです(笑。

駆 込の画像

葬 送

都内は 予報どおりの 綿雪もよひ

名ばかりの春の日に 戸外は灰白に塗られてゆきます、、、

冬に逝く人が多いという話は 歳を重ねる度に耳にしました

12月半ば

癌の進行からくる貧血で自宅で転倒、軽い骨折をした父は

そのすぐ後に大量下血

秋の転院でお世話になった病院が終末医療を引き受けてくれたため、即刻入院となり

ちょうど40日目の先月 旅立ちました

夏の手術から半年

今回の入院では ひと月 という余命宣告を受け

家族も覚悟して わかっていたつもりでしたが

モルヒネフラッシュ後、血圧が急降下し

、、 あっけない最期でした

入院3日後 父の意識が混濁しはじめた日から 37日間

姉家族と我が家の計6人と母で 昼夜交替で宿泊看護する異常事態になり、がらんとした古い特別室のソファーベットでわたしも数日、父と同じ部屋で朝を向かえました

入院中から、毎日 数名の見舞い客の応対と宿泊に追われ

母や姉は体調を崩し 姪と義兄とわたしとの連携が主で

もう限界だ 看護師さんに任せよう と、わたしが音を上げた頃

最期まで頑張っていた姪に看取られ 父は逝きました

お金持ちでもないのに振舞うのが大好きで 

よそでは好々爺の長老として人望もあったらしく

葬儀の会葬者は500人を越え 

わたしの知らない父の側面をたくさんの方から伺いました

あと、20日ほどで 父、念願の米寿を迎える処でしたが

この夏までは、ほぼ健康で不自由のない生活をした退職後の27年

それは、きっと かみさまが 欲張り過ぎる と、戒めたのでしょう 

多くの方に見送られて しあわせな昭和の人でした

どんなにえらい方の弔辞よりも

精進落としの場で頂いた 「ちょっと不良なKさん」 という仲良し爺のお話が

いちばん身近な父の姿であり、贈る言葉であり こころに沁みました

、、、、まだまだ事務手続きも多く 高速を飛ばして帰省すれば

 「 お帰り 今日は何時間かかった? 」と、父が居間のいつもの場所から言いそうな気がして  居なくなった実感がありません

 大仰に飾られた奥座敷の新しい祭壇前に 高齢の母がひとり座り込み

 なかなか立ち上がらない姿を見るのが辛い時間ですが

 これも周囲で支えながら ゆっくりと こころを立て直してゆくしかありません

 これは誰もが通る道 と、既に両親を見送った友人たちから励ましのメールも入り

 わたしも生活のリズムを整えながら、また日常に戻りましょう、、。

葬 送の画像

宿 木

カレンダーも最後の一枚となり、クリスマスリースでも飾ろうと戸棚をがさごそ、、これはツリーと違って場所をとりませんので好きなんです 息子が産まれた年に友人に頂いた木の実やモスのドライを20年毎年ずーっと飾ってきましたが、これがいよいよ崩壊気味、バニラ棒に蟲穴ができたり、粉状態に劣化したりで、この春先にとうとう廃棄しました 他の想い出の手芸リースは取り置き、3年前に伊勢丹で購入したお気に入りオーナメントと一緒にしまったはずなのに、どうしても見つからない、、いつもの収納場所に無い、、家人に尋ねても知らない、、で、違う納戸も調べていると、この2年、探しても見つからなかった「或るモノ」がひょっこり出てきて、記憶喪失と整理整頓の悪さを自分ながら反省しました 一緒に捨ててしまったのかなぁ~ そんなはずはない  そうこうしながら 今年は フレッシュグリーンリースにアンテナピクピク♪ Pinterestのフォロワーさんたちのピンをピンしていると、ミスルトゥ~(宿り木:画像上)がいっぱい出てくる出てくる。。。どうやら、ケルト北欧神話由来の謂われある植物です http://www.cyberhome.ne.jp/html/cafe/... http://web.kyoto-inet.or.jp/people/... そういえば、宿り木との出逢いは、高校生の頃だったろうか? 植物の名前を何でも知っている生物の先生に、冬の或る日、高木の枝に繁茂する謎のカタマリを歩道橋の上から長棹で絡め落としてゲットし、満員通学電車の中を大事に学校まで持ってゆくと 「ヤドリギだよ よく取ってきたねぇ~」と即答された、、、その後、英語のリーダーにも mistletoe:ミスルトゥ~ が登場して、ぶっくりした透明な実と可愛い葉っぱを思い出して ふむふむ とほくそ笑んだ記憶も やはり 常緑樹のときわ木 ケルト神話の原初的な謂われは、どんなに汎キリスト教の圧力があっても滅びずに今に至っているのでしょう、、、冬至も近いこの季節は、日本でも 陽・火・日のかみさまに由来する祭りや習俗もたくさんみられます 生と死と再生 輪廻の祭り・ものがたり の共通項などを考えながら シンプルなグリーンリースが飾りたく 物色中、、。 画像はPinterestより拝借 宿 木の画像 宿 木の画像 宿 木の画像

小 春

外苑の公孫樹並木が、早明ラグビー戦の頃には黄葉になる慣わしも

国立競技場がオリンピックに向けて取り壊されることになり

ここで最後の早明戦とあらば盛り上がりもひとしおだったことでしょう

いろいろと 時代の区切りの年にさしかかっている感です、、

実家の父の病は、取り残した結腸部腫瘍のマーカー数値が上昇気味

大学病院の担当医師は 「 次は 何時やりましょうか? 」 ばかりで

切った貼ったの臨床数が手柄になる消化器外科の彼等の科白は他に無い様子(呆)

切らない人は用無し の病院とは、もうご縁を切るべき時なのかも

20キロ以上痩せ、わたしと同等の体重になった父は、それでもまだ逡巡しているのか

返答を先伸ばしにしており、夏に手術を強力に勧めた姉も、今回ばかりは流石におとなしくしています 

ただ、父はわたしの想像以上に生き意地が張っているというのか?

お呼びがかかれば、今だに夜の会合にも制止を振り切り出かけてゆく元気があり

食事もままならない体力で、疲れやすく足腰もかなり弱っているハズなのに、お迎え車が到着するとそそくさ出かけてゆく気力には、わたし以上で驚くばかり、、この人は癌と共生して長生きするのでは と思ってしまいました

東京に戻れば 相変わらず花瓶の花はドライに変貌し

この12月シューカツ解禁の息子は、マスター進学したいとのことで、、、金喰い蟲の延長です(泣)

わたしも ぼんやりしていられず 新しい仕事をはじめました。

画像 実家の窓から見える公孫樹 

小 春の画像

微 熱

富士のお山も雪被り

都内の街路樹も 秋色に染まりつつあります

毎年、予防接種の時期になるときまって風邪をひき

今回もまた軽い風邪が完治したと思いきや 軽いまま長引いて

微熱が7.1ありましたが、昨日済ませてしまいました(今のところ異常ナシ)

東京の田舎から、たまに都心に出る用事を見つけると

あれもこれもと欲張りになるのがいけないのか?

昨日も、急な黒雲が見えたと思いきや下車駅では台風並みの暴風雨で駅横コンビニは傘を求める人の渦巻き長蛇列、、1時間後には急激に寒くなったものの晴れ間も出て、午前中のヤボ用のために逃した岩波ホールで単館上映中の 『ハンナ・アーレント』は、またの機会に、、、そのうち早稲田松竹にでもかかるかな?、、、と暢気に構えてスルー

文化学院(画像中)並びの東側明治大がきれいになったのに驚き、駿河台からマロニエ坂を下って前々から行きたかった うつわギャラリー千鳥 にようやく辿り着きました

う~む イイですね!想像以上のお店でした! 古い匂いのする版元谷間のビルは、茅場町の森岡書店さんのようでもあり、店内は広々と店主の趣味の良さと調度のうつくしさ、、、季節の花や枝ものをさりげなく見合う器に添えて 華美でない枯淡のしめやかな統一性のある空間表現は、見習いたいものです

店主の柳田栄萬さんは、中国薬膳料理家でもあり

うつわ好きが嵩じて店を構えてしまったとか、、、blogにアップされる美味しそうな料理の数々がうつわとともに相乗効果を齎している関係に納得です 

今、開催中の増渕篤宥展は、馨炉(画像下)はwebでも見事さは伝わりますが

普段遣いにいいような小鉢やカップに、webではなかなか確認できない釉薬の垂れや繊細な線刻が施された丁寧な仕事ぶりがあり、webだけでなく、やはり肉眼で見て 触ってみないとわからないものだと再認識しました

木枯らし1号が吹き、初冬の趣き

このところあまり接点の無い社会の片鱗に触れ 驚くこと多かりし霜月も半ば

風邪をひかぬよう 体調管理に気をつけたいものです。

画像上 若かりしアーレント

微 熱の画像

微 熱の画像

微 熱の画像