魔 睡
モーリス・ルヴェルの短編「麻酔剤」が頭を掠めてもいた。
薬剤による人為的記憶障害のはじまり
それはレム睡眠にも近い
痛覚と記憶を抹消する麻薬でもある。
「私が麻酔科の担当医○○です。
今からお話する説明・リスクについて、何かご質問やご不安がありましたら何でも仰ってください。」
四十代後半、落ち着いた物腰の美形紳士は、緑色の静脈の浮き出た手で小冊子を繰りながら、翌日の手術に関する麻酔の説明を丁寧に始めた。
「私がこの病院を選んだ理由のひとつには、術時に麻酔科医が臨席してくださることもありまして、、、。」
にっこり微笑むと同時にその口髭も緩む。
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当日
遠近画法のごとく左手に手術室が十数箇所ずらりと居並ぶ中
担当看護師さんに先導されながら、点滴を提げ、歩いて6番の部屋に入る。
湿度のある奇妙な匂い
音楽が低く流れている(後で判ったことだったが、音楽はリクエスト可能だそうだ)
手助けされて手術台に上がると
手首に巻かれた個人バーコードの確認と名前の確認
脊髄麻酔を打つ前にもう一度名前を確認される。
「私に背中を向けて海老のように体を丸めてください。背中に消毒液が流れます。
背中が少しちくりとします。足は痺れてきましたか?」
「右足の感覚がありません。」
「では上を向いてマスクからガスが入ります。大きく息を3度吸ってください。」
ひとつ ふたつ 3つ目の記憶は無く、真っ白な虚無の世界に突入した。
「もえぎさん お部屋に戻りましたよ。ベッドに移りますね。」
看護師さんの声に意識が戻る。喉が痛い。
感覚のない両足に静脈血栓予防のオートマッサッジャーが低いうなりをあげる。
腹部の痛みは全く無い。なんということだろうか。薄気味悪い麻酔薬の驚異。
焼け付くような痛みが下腹部を襲ったのは、一昼夜も過ぎた翌日の晩
呼吸が苦しく、少し無理をして起き上がりの練習をした後のことだった。
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使用麻酔:腰椎麻酔・硬膜外麻酔・全身麻酔・局所麻酔
術後翌日 血圧 85/55 体温 38,2
自覚した副作用: 喉痛・嘔吐・頭痛・血圧低下・一時的呼吸障害など。