もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

遠 街

すでに文月

夏至も過ぎ 七夕も間近になりました

むかしむかしは八世紀、弓削道鏡が流されたこの片田舎に

医大併設の大学病院(画像中)ができたのは三十数年前

かつては松林に囲まれた種畜牧場があり牛糞臭が漂う記憶も

母の実家がここ下野薬師寺にあって、こども時分に国鉄駅からボンネットバスで簡易舗装の悪路をゆられ、道鏡塚の在る寺の母方先祖の墓参に度々連れられて行ったから

街中に在る父方の火葬墓と違い、昭和40年代半頃までここは土葬で、火のたまを見たという従姉妹の話に恐れをなした近くて遠い 原体験のわたしの田舎であります、、

県下には、もともと拠点病院が無きに等しい状態で

全国地方自治体が共同出資して無医村派遣医師養成を主眼に医大ができ、その附属病院も開院から40年近く、次第に地域の中核病院として規模を拡大し、今では許可病床数 1130床  東大病院が1210床ですから 推して知る大病院へと成長したのですね

最寄には病院名を付したJR駅ができ、田畑荒野は市街宅地に変貌

雇用が生まれ、医薬関係企業やレストラン、スーパー、行列のできるスイーツ店 揺り篭から墓場まで 生死に付随する施設も近隣に多く見られます

実家の街の町医者・総合病院のほとんどは重篤な患者を見つけると、およそ8割がこの大学病院へ紹介状を出すのが常で、祖母もお世話になり、父も同様、ここに通院となりました

朝8時半には近隣4県のナンバーを付けた車が外来用6ヶ所の駐車場を埋め大混雑 電光指示板の他に誘導警備員の女性が拡声器で指示他、送迎車・タクシーも入り乱れてまぁたいへん!こんな日常がここでは繰り返されているのです、、、ざっと見て、外来患者は8割が70歳以上、足の不自由な方、車椅子の方など健常な人間すら右往左往する大病院に、磁気カード利用で以前よりスムースに自動会計も導入され手続きは時短したとはいえ、病に沈んだここちで訪れる人に、何か配慮あるしくみはできないものなのか、、、

医療制度改革の文字が頭を霞めつつ、待ち時間を過ごしました

6月の再検査結果はステージ3:胃上部から食道にかけての腺癌で、4つの選択肢が提示されるも、2つは効果が期待できず、結局やるかやらないかの2択となりました

担当医は、穏やかな表情で、最近は患者さんの意思を尊重する時代になり、年齢から考えると緩和ケアを選ぶ方も多い、、、ご自身でよく考え選択してください リスクの多い大きな手術となります、、、父は告知からの2週間で何を考えたのか、この時 「手術をお願いします」 と即答しました

それから手術に向けて再び検査が続き、問題なければ月末予定です

気持ちが決まればこの人は肝が据わり、長年放置のガラクタの断捨離を始めて

祖父母時代に使用した臼杵・洗い張り用の板・夏用籐椅子 物置のガラクタは軽トラック2台分にもなり(汗)。。もすこし穏やかな時間を過ごせないものかと娘の危惧をよそに、体を動かしている方が本人には好いようで勤労動員のわたしも汗汗です

病というものは単純な比較はできないでしょうが、明らかに重篤で肝が据わった父よりも、老人鬱が見られる母の、こころと体と脳のバランスのほうが厄介もの、、、切った貼ったでは治らないから難しい、、、 根拠の無い自信で「ダイジョブダイジョブ」と言ってみたりする能天気なわたしですが 畏れ多くも円空さんの入滅のごときに念仏を勧めたり、書き物好きな母には写経もいいかな、、と思う近頃です 

遠 街の画像

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