滋 雨
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事務は 少しの誤りも停滞もなく 塵もたまらず
ひそやかに 進行しつづけた。
三十年。
永年勤続表彰式の席上。
雇主の長々しい賛辞を受けていた 従業員の中の一人が
蒼白な顔で 突然 叫んだ。
――諸君!
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう――
同僚たちの困惑の足下に どっとばかり彼は倒れた。
つめたい汗をふいて。
発狂
花ひらく。
――又しても 同じ夢。
< burst 花ひらく 吉野 弘 詩集 『 消息 』 より >
山田太一ドラマ 『 キルトの家 』 の挿入詩の全体です。
いま 現代 の一部を見事に切り取った、すてきなドラマでした。
さすがの山田太一さん 役者さんたちもベテラン名優ばかりでありましたが
ひとつひとつの科白をかみしめるように 耳そばだてていると
老いて つとにかたくなになったわが実母のことに思いおよび
はっ と、気づいたり
すこうしではあるけれど 添うことができるようなここちもして
いずれはじぶんもあちらに括られる身の上 を自覚しました
老人 という十把ひとからげの言い方は確かにひどい
独りで寂しくない と言えば嘘になるけれど、一人で居たい時もある
孤独死は怖くない
若い頃
たましひの話 というのは、形而上的な崇高な話のことで
世俗的なことがらから離れた 超越的なひかりの世界のはなしのこと と、ばかり思っていました、、
その考えには、厄介な現実から逃避したがる私が居り
年齢を重ねる毎に その誤りに気づき始めたこのごろ
たましひの話 は
毎日の生の時間の中にあり、生の時間の積み重ねの中にあるのかもしれない
とりもなおさず、それは、人と人との関係性の中にあり
関係の中で他者を知り、他者を思いやり
みずからを知り、他者を許し、みずからを省みることの繰り返し、、
とても簡単なことようで いやはやどうして簡単ではない
それは 紙の上の ことば ではないから と、いうことでしょうか
そんなことを、ドラマを見ながら、感じました。
今度、実家に帰ったら、母の話にゆっくり耳かたむけ
こちらの思いもあきらめずに伝え
かたくなな心映えを解く試みをしようと思います。