もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

滋 雨

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 事務は 少しの誤りも停滞もなく 塵もたまらず

      ひそやかに 進行しつづけた。

      三十年。

      永年勤続表彰式の席上。

      雇主の長々しい賛辞を受けていた 従業員の中の一人が

      蒼白な顔で 突然 叫んだ。

      ――諸君!

         魂のはなしをしましょう

         魂のはなしを!

         なんという長い間

         ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう――

      同僚たちの困惑の足下に どっとばかり彼は倒れた。

      つめたい汗をふいて。

      発狂

      花ひらく。

      ――又しても 同じ夢。     

< burst  花ひらく   吉野 弘 詩集 『 消息 』 より  >

山田太一ドラマ 『 キルトの家 』 の挿入詩の全体です。

いま 現代 の一部を見事に切り取った、すてきなドラマでした。

さすがの山田太一さん 役者さんたちもベテラン名優ばかりでありましたが

ひとつひとつの科白をかみしめるように 耳そばだてていると

老いて つとにかたくなになったわが実母のことに思いおよび

はっ と、気づいたり

すこうしではあるけれど 添うことができるようなここちもして

いずれはじぶんもあちらに括られる身の上  を自覚しました

   老人 という十把ひとからげの言い方は確かにひどい

   独りで寂しくない と言えば嘘になるけれど、一人で居たい時もある  

   孤独死は怖くない

若い頃

たましひの話 というのは、形而上的な崇高な話のことで

世俗的なことがらから離れた 超越的なひかりの世界のはなしのこと と、ばかり思っていました、、

その考えには、厄介な現実から逃避したがる私が居り

年齢を重ねる毎に その誤りに気づき始めたこのごろ

たましひの話 は

毎日の生の時間の中にあり、生の時間の積み重ねの中にあるのかもしれない

とりもなおさず、それは、人と人との関係性の中にあり

関係の中で他者を知り、他者を思いやり

みずからを知り、他者を許し、みずからを省みることの繰り返し、、

とても簡単なことようで  いやはやどうして簡単ではない

それは 紙の上の ことば ではないから と、いうことでしょうか

そんなことを、ドラマを見ながら、感じました。

今度、実家に帰ったら、母の話にゆっくり耳かたむけ

こちらの思いもあきらめずに伝え 

かたくなな心映えを解く試みをしようと思います。

滋 雨の画像

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