笑 納
郊外のちいさな駅から徒歩で数分のところ
武蔵野の雑木林を吹きぬける北風が枯葉をゆらし
人なつこいキジバトが散り敷いた落ち葉を裏返しながら
なにかを啄んでいる。
見上げれば 赤い実をたわわにつけたイイギリの空をヒヨドリが横切った。
夏から体調を崩した叔母が入院している病棟はその林の奥にあった。
手先が器用な人で、自分で彩色するリボンフラワーのブーケ作品や野の花を模した飾り花が国内のコンテストで入賞、渡仏して勉強を積んだ経験もある。からからとよく笑い、手作りの料理でホームパーティーを開くのが好きで、何年か前まではご招待に預かり、大皿料理を教わったことも。その人が、今、なんともぎこちない表情で、姉である私の母と私を病室で迎えてくれた。
家族の話によると、様態は回復傾向にあるという。
顔色はいい。しかし口元にわずかな笑みの仕草ともいえる動きを残すのは感じられたものの、こころから溢れ出るような笑みには遠い堅い表情には、やはり病の影が見受けられる。
若い頃、貼りついた笑顔をふりまくタレントやバーガーショップのおねえさんに私は文字通り笑止したものだったが、これが反対に無表情で無礼顔でもあれば、また笑止は倍増したかもしれない。
大人になり、母となり、公の場で子どもたちの表情を見るにつけ、その動きの少ない子どもたちはどことなく気がかりで、折にふれて声かけをしたこともあった。
作られた笑顔は簡単に読み取れるもの
不自然な笑いほど痛々しいものはないが
叔母が ゆっくりと回復し
また あのからからと高笑いする声が聞こえる日を
静かに待ち望んでいる。