もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

生誕の災厄

朝8:00から THE DOORS の紙ジャケCDを掛けていると

うるさい と家族から顰蹙をかう。

Break on through to the other side

Break on through to the other side

Break on through

Break on through

  昨夜の M氏の言葉 があれからずっと響いている

  真摯にそれらを撰びとりゆく間合いに この人の誠実さを直感する

  M氏のこれまでの時間が 語られた言葉に凝縮されて

  ひとつの透明な水に近い楽音となって

  私の脳髄に鳴り続けている

逆立ちをして踊り続ける

本との出逢いは、生きている人間以外との対話だ

本というものに音楽CDや映画はいつまでも絶対に追いつけないだろう

テキストは頭の中(意識や認識の世界)で演奏をするある種の楽譜のようなもの

その透明さを維持するためのツールが本である

自分を踏み抜けば そこには広大な宇宙が広がっている

変わるということは そんなにたいしたことではない

そこを明るく生きぬくことが難儀

これからの僕をみていて欲しい

  なんと直截で端的でちょっとだけ傲慢とも想えるお答えに、強烈な嫉妬

  私はM氏に嫉妬し続けていたい、、と想う。

R嬢の指摘  「僕等・僕たち・我々・同志」

世代を語る時の主語が複数に変化することは、彼・彼等の認識において当然/自然なことだったのか

「われわれは~」がもたらす欺瞞がどうしてもぬぐえない、、、。

(画像は神代植物公園/朽ち花墓場) 

生誕の災厄の画像