もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

認知症 あるいは 記憶の筐底を探して

日曜の昼下がり

TVから覚えのあるピアノ曲が流れてきたので見ると 陶芸の町:益子から NHKBS「イッピン」の再放送です。

ピアニストの手元を陶板スクリーンに拡大して映し出すというリポートで、それはちょっと聞いても印象的な ヒナステラ:アルゼンチン舞曲でした。

ヒナステラと同じアルゼンチン出身 若きアルゲリッチによるものか?)

この曲は鈴木弘尚さんの演奏会で何度も聴いており、CDでも聴いている馴染みの曲 

しかし最近、ある方とのやり取りで偶然気が付いたことで、若い頃に行った演奏会の音の記憶が全く失せていて思い出せない…ということがありました。演奏会の場所やシート、着ていた服はなぜかよく覚えているのに(汗笑。

 それというのも、2年前に認知症の兆しが現れ、現在は施設入居となった母の、記憶の摩訶不思議をさいきん切実に感じるようになったからです。

 

一口に認知症といっても症例はさまざまで およそ以下のように分類されます。

アルツハイマー T叔母の場合 5分前にしたことを忘れる 今朝、何を食べたか思い出せない…ではなく 食べた事も忘れる 短期記憶の喪失(約50%)

         (短期記憶と長期記憶 http://spiritual-success.com/post-10565

レビー小体型 K叔母 パーキンソン症状と幻視により症状変動が大きく、徘徊症状もある(約15%)

前頭側頭型 母のタイプ 社会性を失いわが道をゆく行動 固執や拒絶が激しい

脳血管性型 脳梗塞脳出血・脳動脈硬化に起因する意欲低下や行動障害(約15%) 

他にもありますが、3人の共通点は、みな古い記憶は事細かに覚えており、私が子ども時分の話などは、しっかりした口調で懐かしそうに話します。

 

因みに、アルツ型でない母は、昨年の長谷川式MCIテストで高得点(25点非認知症)を出し、現在も短期記憶はありますから、心当たりのある方は、長谷川式を過信せず、専門医を受診することをオススメします。症状を遅らせる処方箋が開発されています。

叔母や母たちはみな老齢による認知症(海馬の脳障害)で、日常生活に支障をきたすレベルまで進み介護認定を得ていますが、このDNAを受け継ぐ身の上としては、物忘れといえど引っかかりがありました。

 

つまり…アルゼンチン舞曲は、私の海馬には長期記憶として在り、30年前の音楽会の音は短期記憶として消失して、その映像のみが長期記憶として残っている ということになります。音楽会は、朝比奈マーラーの暗く長いシンフォ(1番5番以外は確か)で、頂いたチケットS席にもかかわらずお尻が痛くて早く終わらないかと祈っていた…(汗笑。同行者は、下の日記のメゾチントの作者ですから月日は百代の過客であります。

次の母の面会には 楽しい記憶がよみがえる何か を、探して持ってゆきましょう。

 

終わり の はじまり

曇天の朝 近くの欅の梢からモズの高鳴きが秋の深まりを知らせます

柿色のジョウビタキがやって来るのも間もなくでしょう。

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 Hammershøi Montague Street in London British Museum 1906

ユーザーとして13年続けた関心空間が昨日閉鎖されました。

ユーザーがアップしたキーワードを、分類・関連・自由意志(笑)でリンクさせながら情報を派生させて繋げる楽しいシステム。2000年頃まで、ユーザー交流は掲示板しか知らなかった私に、このシステムは斬新な驚きで、2004年mixiの始まりはあっても、拘束のない関心空間の自由な仕様は、いつでも帰れる安心webのホームグラウンドとして在り続けました。

2004年の初登録時、私のごとき普通のおばさんに、以下のキーワードに初コメントを頂いたのはピケティ本で一躍メジャーになった山形浩生さん(データ取り込みが最終更新を拾っているため2007年になっている)

web初対面の人間に、いきなりくだけた話ぶりで、ソログウブの子孫とパリで話をしたことがある…という変な人を直ぐにブックマーク:笑。これを手始めに、おもしろグッズ・映画・小説・音楽など、自分と他ユーザーがアップしてゆく話題の繋がりチェーンが出来あがり、たくさんの人とコメントを交え、時にはオフ会もあったりと楽しい時間を過ごしました。

あえて言うなら、人との繋がりが mixiコミュニティのような趣味人の、深く濃い狭い繋がりではなく、キーワード関連の人を介したぬるくゆるい繋がりであったため、その寛容さが長らくのI'm home.の場所となったのでしょう。

そうは言いつつ、世の中は、リーマンショック東日本大震災政権交代・自民再権…景気も変動して関空母体は経営譲渡を経て今回の閉鎖へ至りました。『ネット墓守』のキーワードを上げたSさんの心配もよそに、移民としてここにやってくることになりました。

 

「うしろ向きに未来にはいってゆく」ポール・ヴァレリー

とは、1999年末の朝日新聞:音楽展望「昨日、今日、明日」吉田秀和翁からの引用ですが、2016年の終わりを向かえた今も同様、 こころに響くことば です。

「時間が無限に前に向かって進むのではなく、前もなければ後ろもなく、進むのは退くのと簡単に区別できない、、(中略)二十世紀は絶えず進歩とか革新とかいう叫びが耳に入っていた世紀だが、その間にも不断に退歩を重ねる局面があった。(中略)

では二十一世紀はどうなるのだろう?新しいものは新しいものとして受け入れ、だからといってそれが古いものよりすぐれたものだときめてかからず、古いものでも新しいものでも良いものは大切にする。これぐらいが、せいぜいの提案だ。」

吉田翁の文章は、白石美雪氏の音楽評を賛じつつ、20世紀の歴史の反省を踏まえ 「新しい・未来・明日の」が、単純に「より優れた・より望ましい」と楽観的にはなれず、古典的実例としてメンデスルスゾーンをあげ、埋もれていたバッハ、ヘンデルの名作を掘り起し、開かれた多くのレパートリーを持って公衆に向かったことを評価して結んでいます。

 

ここに移行して 悲観的に未来に向かう ということとはいくぶん違いますが、特別多くの期待も持たず 日々をていねいに積み重ねてゆく その記録としてこの場所を利用できればいいな と思います。

内容は、人文系に寄ると思いますが、あまり統一性のないものとなることでしょう。

日々のばらばらなものごと を 繋ぎとめながら と 思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

今日の一曲

www.youtube.com

 

 

 

面 妖

季節を先取りする冷たい雨の日

上野西洋美術館のクラナッハ展へ

http://www.tbs.co.jp/vienna2016/work/index.html

お目当ては 或る種 東洋的とも思える面妖な女性たち

かれこれ10年前に観た ヴィーナス は 記録を遡れば 今回展示の作品よりも大振りなものでしたので、所蔵の違う別物でしょう。

なにしろルーカス・クラナッハ(父)は宮廷画家だけでなく企業的工房経営者として成功、数千点の絵画を残し、また政治家としても活躍。マルティン・ルターとも親交したといいますから、いい意味で裏切られた感のある一筋縄ではいかない実業家の絵描きさんでした。

まるで火星(本来なら金星)にでも降り立つ陶器肌のしなやかな肢体の女性は、黒バックの闇に浮かび上がる忘れ難いおもざしの小品。

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フランクフルト シュテーデル美術館 ヴィーナス 1532

八頭身以上ある愛と美の女神は、同じ1532年作の下画像とサイズも同じ双幅を思わせ「古代ローマ ルクレティア」の寓意を探してしまいます。

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ウィーン造形美術アカデミー ルクレティア 1532

透明な薄衣の描写も秀逸で、他、肖像作品の天鵞絨の艶めき立った着衣の質感にも眼を奪われ、手触りすら感じさせる表現技術の高さには感嘆のためいきです。

展覧会フライヤー・ポスターは 人目を惹く 生首を持つユディット 

作品情報|クラーナハ展―500年後の誘惑:TBSテレビ

繰り返し描かれ 視るものを釘付けにする妖婦のテーマは

「女のちから」(Weibermacht)と呼ばれる主題:古代神話、旧約聖書新約聖書、世俗的な寓話など、実に広範な源泉のなかから見出される「誘惑」の類型的イメージ」> 

一人の特異な画家として、宗教改革が始まる時代に生きて、政治や宗教、従来の神話に託された多様なテーマの作品群を眺めていると 富裕な実業家の生の中の襞の陰影も垣間見たように思え、新たな認識もありました。

同時代の画家:アルブレヒト・デューラー メランコリア の対比展示や 現代の森村泰昌のユディット扮装も楽しい内容です。 

ピカソ、マンレイ、デュシャン すらも クラナッハの洗礼を受けています。 

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ワイマール シュロスミュージアム ジビュレ姫の肖像 1526 

今回の来日には無かった大好きな作品 上目遣いが印象深い少女像
14歳でヨハン・フリードリヒ :ザクセン選帝侯に嫁いだ姫を クラナッハ(父)はその後も繰り返し描きました。

 

 

移 行

昨夏以降、古い場所での日記は保留となっておりましたが

今回の関心空間閉鎖にともない

こちらに 日記の引っ越しをさせていただきました。

 どうぞよろしくお願いいたします。

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ギュスターヴ・モロー 岩の上のサッフォー 1872 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館

アンリ・トマジ「12のコルシカの歌」Chants populaires de l`ile de corse

の画像画像: E Burne-Jones 宵の明星

Henri Tomasi アンリ・トマジ(1901~1971) 仏の指揮者・作曲家

1952年 事故の為ほぼ聾唖に 最晩年の作 

テレーズ・ファレ=フィズィオ指揮

ガブリエル・フォーレ少女合唱団による

昭和52年度文化庁芸術祭参加作品 (IPG KUX-3066) テイチクから販売

 

 1980年代のはじめ 国立音楽大学のO先生より

 『 糸を紡いでいた時 』 という表題で LPレコードの紹介を戴き

後にテープ録音をお願いして入手

 

    *  *  *  *  *

 

たぶん このLPレコードをお持ちの方でしょう… 

2014年 以下YouTubeにこのアルバムがアップされておりました 

さいわいなるかな!

 

www.youtube.com

 第3曲"セレナーデ・舟歌"

 第4曲"ニニーナ(子守歌)

 第6曲"スパネットゥの哀歌"

  

www.youtube.com

 全 曲

    *  *  *  *  *

 

 全篇を覆う 冥さ は否めないが

少女たちの清冽で細く美しい声にたましひを奪われる。

 

 1:糸を紡いでいた時(悲歌Ⅰ)

 2:コルテの人々(選挙の歌)

 3:目をさませ(セレナーデ=舟歌)

 4:可愛い娘(子守歌)

 5:愚かな羊飼い(風刺の歌)

 6:スパネットゥの哀歌(ロバの弔い歌)

 7:波間の漁夫(漁夫の歌)

 8:静かに 静かに(悲歌Ⅱ)

 9:アンドリ小父さん(ユーモラスなロンド)

 10:クシオーニの山中に(子守歌)

 11:おお マッテウ(悲歌Ⅲ)

 12:定期市の商人(物売りの歌)

 

 

  …幽かな光を頼りに 仄暗い途を 手探りで歩む 

 アリアドネの糸 が 細く長く たなびいている

   暗い森から 風精(ジルフェ) が 怪しき薫香 を 運ぶ

     ある種 の 懐かしさ と 悲哀 が

   異郷 の 神秘の呪文の谺 に 堕ちてゆく… 

 

中世ポリフォニーに近いだろうか

敢えて謂うなら民族声楽合唱「ブルガリアン・ヴォイス」から

力強い土俗性を引き算して

異教の精霊たちの繊細な悲哀を唄っているとでも謂おうか

 

 暗中模索で永年探していたトマジに関する情報を

 この好機を得て 以下のぷ~れん閣下HP にて入手

 閣下の博覧強記に深く感謝いたします!

 ◎知らざれる近代の名匠たち(ぷ~れん閣下HP)

 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/...

                  2004年初出記述

 

 いもじな日々 HP 2010/5/23 「12のコルシカの歌」を聴く

 LPジャケット画像が見られます。 

                 2016年8月加筆修正

 

慚 愧

暑中お見舞い申し上げます

 先週末より公開が始まった 都内2ヶ所単館上映 塚本晋也監督 大岡昇平原作『 野 火 』

構想20年 金策に窮した塚本監督みずからの主演

しかし 上映館が少なすぎる…

 F・コッポラ『 地獄の黙示録 』の画像・ Doors の THE END も鳴り出しているわたしの脳内ですが

若い頃と違って これは心身ともに健康な状態でないと

なかなか観るに辛い内容だろう 

この夏の時間を長らく引き摺る内容になるだろう…と懸念しています

   が

 さまざまに あの時代の 慚 愧 という真摯な言葉が忘れられつつあるこの頃

原作とともに振り返る 良い機会になるや と

 ...疑うことを知らず 軍国教育を受けた可哀想な子どもたち

殊に 或る一定の年齢から上の 出征世代

この人たちこそ 敗戦後の価値の転換に大きく惑い

 自己欺瞞 という暗雲に苛まれた人も限りなく居たはずで

その自分と どのように向き合いケリを着け 生き長らえることができたのか

 

秋山 駿 『 舗石の思想 』は 

少し 遅れてきた少年ではあったけれど 

生身の生きた大人として 焼け跡に立ち尽くした少年の歩行と思考の言葉があり

出立の記録でもありました。

 慚 愧の画像

画像 Flickr;Yoshihiro Ogawa 御射鹿池 Nagano, Japan 

灰 青

水無月も過ぎ 今年も後半に入りました

 梅雨入り後の関東は 夏至を過ぎても雨の少ない日が続きましたが

今週は ようやく梅雨らしい雨空になり

紫陽花や梔子も 水を得て生気を取り戻した感

 

さて みなさまに案じていただいた前回日記の姪っ子の手術は 6月半ば無事終わり

摘出組織検査は 白判定 家族もホッとひと安心… 

大学病院での初外来の折は 手術するとしたら 半年後 と言われたものが

外来担当が毎回変わり MRI検査後に 

境界性悪性卵巣腫瘍で20日後に急遽術日が決定 同日に同意書を渡された姪や家族の動揺は推して知るものでした

 

病院は設備も整った関東でも上位ランクの大学病院ですが 父の闘病の折も

入院前には外来診療に加え 外来看護師カンファ・手術室看護師カンファ・ICUカンファ・麻酔科カンファ・入院病棟カンファと

検査日の予約表に午前・午後と明記され それでなくとも病で消耗している病人への更なる心労に辟易したもの

あんなものは紙一枚で済む事だろうに 何か訴訟でも起きた後の保険なのか いちいち承認サインを求められ

健康な付き添いの人間さえも嫌気のする面倒な進捗がありました

 

姪の場合は 術前白黒決定が曖昧で 通常の40・50代の経産婦なら関係臓器は全摘出が通常らしく

嚢胞の大きさ&24歳という年齢から手術を急いだようですが

婦人科関係臓器全摘を拒んだ本人に対し 術前1時間前まで担当医師が病室説得に訪れ

自分の命とどちらを優先するのか、、と説諭されたのだとか

 

これも大学病院(あるある)の最悪事態を通告する通過儀礼

担当医は30代前半;研修医上がりの若造ですから彼・彼女等にとってもマニュアル通りのエクササイズ

24歳の摘出臓器は希少データで 何方かの論文片鱗に有効利用もできるのでしょう

術後 担当医が術前説得に関しては謝罪したと言うことですが 結果オーライの事はママあると言えど 脅しにもほどがある

一件落着後も 姪はまだデータとして通院が続くようです

灰 青の画像 

                         画像はpinterestより

この間 以下の他にも 百田尚樹 言動は論外

◎6月23日 沖縄陥落の日 14日放映 沖縄戦 全記録では

 生き残り軍人が アイヒマン と ソックリな弁明をしていて驚愕!

◎安保関連法案採決への反対街頭署名

◎数人の諸先輩姉様方から 戦中話を聞く

 焼夷弾の降る飯田橋界隈を逃げ惑う

 茨城:霞ヶ浦近く小学校が軍宿舎に没収された小学生の見たもの

 ひもじい田舎での疎開生活 毛髪虱潰しの日常とDDT 

…母から聞いた話とはまた違う さまざまな年代の少女の目に刻印された戦下の記憶は

今もなお目頭を熱くさせ 言葉に詰まりつつ語る先輩諸姉の 伝えるべき余白の言葉 を噛みしめました。