もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

春のあらわれ Apparition

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           ご近所の ハクモクレン(白木蓮) Magnolia heptapeta 2017.3.12 

駅前の花屋の店先にカジイチゴの枝ものが並んでいたのを見つけたのは雛節句が過ぎてから。桃の花に替えて挿すと、こちらの日持ちは驚くほどで、10日が過ぎてもまだ新芽の青葉がシャッキリと、蕾から白い花もほころび始めています。

 

花瓶は、上の日記の李朝風徳利。枝もの、丈ある切り花も、和洋を問わずに使えるのでとても便利。

 

カジイチゴの花が自然の山野林床で見られるのは、ヒメシャガ・ヤマブギ・ヤマルリソウ・タンポポなどが櫻の下で見頃になる頃… そう 花屋は着物の柄と同じで、常に季節のひと足先をゆく品揃えのようですから3月の声とともに店頭に並んだのかもしれません。

樹木図鑑(カジイチゴ)

 

眞白き啼泣  ハクモクレン

櫻の前に、いち早くほころびるのが、庭木や街路樹のマグノリアです。

 ハクモクレン(白木蓮)Magnolia heptapeta

 コブシ(辛夷)Magnolia kobus

 モクレン:シモクレン(木蓮:紫木蓮)Magnolia quinquepeta

ことにハクモクレンは、春彼岸の前に「高木に小鳥が群がるように咲く」と形容されるように、白く大きな花が一斉に咲く姿は、華やかさを通り越して異妖でもあり、関東では、この時期特有の突風やら氷雨やらで、満開高木の夕闇の花灯りが一夜にして落ち、茶褐色に散り敷いた無惨な花辨をたびたび見たことがありました。

しっかりした毛に覆われた紡錘形の蕾が天を指すように目立ち始めると、白い花びらが殻を破るように卵型に立ち上がる姿は、手のひらほどの大きな花辨ということもあり、心なしかなまめかしく感じるのは私だけでしょうか?

そしてその眞白な花灯りの命は驚くほど短い…。

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    何年か前にその花蘂を解剖すべく、写真を撮りました。

 

ハクモクレンの後にやってくるのが、一回り小ぶりな白花の野趣あるコブシ(辛夷)。

赤紫が色目立つモクレン:シモクレン(木蓮:紫木蓮)は遅れて咲くのがおおかたの順番です。

 先日は春の気温に誘われ、ご近所の立派なハクモクレンの様子を見ながら、石神井公園まで久しぶりに自転車を走らせました。

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        ハクモクレンの開花と同じ頃に咲く、近くの公園のオオシマザクラ 2017.3.12

 

石神井公園

いつも西側から三宝寺池へ降り、観察池を一周して帰ってくる私の散歩コース。

この日は暖かな風のない日曜日とあって、散歩・ジョギング・子連れの家族・鳥撮りおぢさん他、櫻にはまだ早いのに、なかなかの人出でした。

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ハンノキ

画像は三宝寺池。池中、池端に多数生えるハンノキの姿は、都内の住宅地の中の公園とは思えない趣きがあります。ハンノキには昨年の実が着いたまま、今年の花房がたくさん垂れている様子が見えます。が、この時期、花粉アレルギーの方には大敵だそうで、あまり近づかないのが得策のようです。

ハンノキに絡むのはノイバラの新緑で、既に繁茂しはじめていました。

カモたちはほとんどが北に帰り、キンクロハジロがちらほらと。スイスイ泳いでいたのは常連のバンカイツブリで、大型の鳥は、カワウダイサギアオサギブトガラスなど。ハンノキの陰にも、ゴイザギが2,3隠れているはずです。

池を半周して観察池に着くと、相変わらずの大砲カメラの鳥撮りおぢさんの群れ…

今や、都会のどの公園でも普通に見られるようになったカワセミ目当ての方々が、撮影スポットも設えられているためか、ここはいつも人だかりができています。

すっかり都会に馴染んだカワセミは、お立ち台の添え木から水中ジャンプしたり、右へ左へと愛想を振りまいておりました。

 

 野草園のヒトリシズカニリンソウタチツボスミレを見ながらメタセコイアの林の北側の半周を戻るところで、この日の嬉しい出逢いがありました。

鳥撮りおぢさんやお姉さんが数人、アオキの繁る藪をのぞき込んでいます。

尋ねるとルリビタキの雄が居るとのこと。明治神宮観察会や日光野鳥研究会で、雌は遠目に何度か見たことがありました。雄を3m弱の至近で見たのは初めてでした。

ヒタキ類は、眼がまあるく愛らしい小鳥で、これは幼鳥らしくぷっくりした体つき。暗い藪の中を行ったり来たりと眼を楽しませてくれました。

林の上方からは、カケスの賑やかな声も聞こえました。

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Apparition あらわれ  Stephane Mallarme ステファヌ・マラルメ

学生時代の個人的な勉強会「世紀末論」で、仏蘭西象徴主義<サンボリズム運動>の中で触れた本の一冊に 岩波赤帯548-1『マラルメ詩集』鈴木信太郎譯 がありました。

文庫を繰りながら釘付けになった一篇が 若きマラルメ(1842-1898)が後の妻マリーに宛てたと言われるこの恋(鈴木信太郎風には 戀 と書く)の歌です。創作は結婚前後とみられる21歳頃らしいのですが、発表初出は42歳と言われていますから、長年温め推敲を繰り返した歌のようです。 

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私は仏語は解せませんので Apparition の譯も日本語の何がいちばん適し応するものか?と思いながら他の譯も読みました。時に西脇順三郎のは「幻」の一語で、現代口語文に寄る内容は、何か味気なく思慕の切なさもスル~してしまいそうなものに感じます。せめて「出現」とか…。

月は悲しむ。天使は涙を出して

夢み、指に楽弓、かすんだ

花の静寂に死にそうなヴィオロン

すすり泣き花冠をすべる  西脇順三郎譯「幻」Apparition

 

月魂は悲しかりけり。熾天使は涙に濡れて、

指に樂弓、朧にけぶる花々の靜寂の中を

夢みつつ、花辨の蒼空の上を渡りゆく

眞白き啼泣 音も絶え絶えの胡琴に ゆし按じたり。

      鈴木信太郎譯 あらわれ Apparition         

あらわれ Apparition :マラルメ

 

こうした、鈴木信太郎譯の意訳めいた象徴主義的解釈のテキストは、五七調の音韻・文語の選択の諧調が不思議に身に馴染み、私の脳髄には高い城壁のごとくそそり立ちつつ 日夏耿之介齋藤磯雄 への興味へと繋がりました。

 

櫻にはまだ早いこの時期、夕闇に燈るように咲く大木のハクモクレンを眺める折ふし、口を附いて出るストローフは、この鈴木信太郎マラルメとの交感(コレスポンダンス)を想わせる あらわれ の一節

またそれは、 ルリビタキ の あらわれ Apparition にも通ずるちいさな楽しみであります。

 

Apparition は、クロード・ドビュッシーの歌曲にもなっており、なかなか人気の楽曲のようなので、私の好みではないのですが貼っておきます。


 

aude Debussy (1862-1918)