7年ぶりの長編 発売前に重版だという新刊本『騎士団長殺し』を想う
都内のきさらぎ2月は、中・高・大学の入学試験が真っ盛りです。
既に合否が判明した親たちでしょう、スーパーの売り場にカートを置いたまま
「おめでとう」合戦の長話に興じる母親たちを垣間見ますが、他の方の買い物の邪魔にならぬよう周囲へのお気遣いもぜひお願いしたいもの…。
春は、進学・卒業・就職・転職・転勤・移動 などなど 日本は節目の季節です。
合否は、階段のステップのようなものであり目的地ではないですし、願い叶わぬ結果であっても、別の道にはまた新たな出逢いやチャンスは必ずありますから、それらを大事に重ねてゆけば、月日はあっという間に過ぎゆくような気がします。
標題のキャッチで喰いついた村上春樹ファンの方には、たぶん申し訳ない内容となる以下の文章……きわめて個人的見解による思いの丈ですので、読むという作業が、これほど人によって異なるものなのか?を確認しつつ、読み飛ばしていただけたらと思います。
今週末24日(金曜日)発売予定の村上春樹新刊『騎士団長殺し』全2冊 新潮社
この広告が出たのは確か昨秋のことでした。
街の書店が次々に姿を消し、取次(出版物流の問屋のようなもの)すらも淘汰され、長引く構造不況が更に加速する出版業界で、これほど売り上げに貢献している稀有な作家も他にはなかなか見当りません。発売前に一部累計70万部という刷り、初版50万としてもギョーカイはお祭り騒ぎの様相となるわけです。
紙媒体の書籍は、製紙会社・印刷会社・製本・物流・倉庫・取次・書店 と、出版社だけでなく多くの人の手を経て、手のひらに届く 物 です。
経験上(見学)で、私が知るこの流れの中で、一番に手間、つまり時間がかかるのが製本ですから、製本工程がいかにオートメーション化したとしても、工場のラインはフル稼働でこの数をこなすのに躍起になったであろう ひさかたぶりの好景気と想像します。
ちょっとメジャーな作家さんの上製本でも、初版3000部くらいからが普通です。初版50万部(発売前に更に増刷決定)という数字がいかに破格であるか…しかも今の時代に紙媒体で欲しがっている人が居るというのも、なかなか面白い現象ですね。読者に年長者が多いということなのか?そうした購買層分析も、web予約などで既に解析されていることでしょう。
さて、私が村上氏の文章に初めて出会ったのは、志望の大学に落ち、仕方なく入学した大学生活の独り暮らしが始まった頃、友だちの部屋に遊びにいった折に、面白いよ と勧められたのが『風の歌を聴け』でした。ちょうど2作目『1973年のピンボール』が発売された頃で、PCやwebなど皆無のLPレコードの時代です。
情報は書店の立ち読みや図書館で得た雑誌や書籍から。文芸誌「群像」「文學界」「文藝」などは、いちおう毎月チェックはしていました。
高校生の頃に、現代作家では村上龍や中沢けいの単行本を読む機会はありましたが、身近な感じはなく、この時に出逢った『風の歌、、』の文体はとても新鮮な感覚で、登場人物も同じ大学生だったこともあり、感情移入しやすく読めたのかもしれません。
S・フィッツジェラルドやサリンジャーなど、食指の動かなかったアメリカ文学に触れる機会を得たのも村上氏のおかげだと思います。
ついでに言えば、リチャード・ブローディガン『アメリカの鱒釣り』の一節を何度も反芻する陥穽に陥る 苦い愉しみ も、村上&藤本和子の繋がりでありました。
今、振り返って正直に言えば、初期作品の内容はあまり覚えてないので、文体や表現方法に魅かれたのでしょう。上の日記にもあるとおり、アンドレ・ジッドに傾倒していた少女期でしたから、当時、内容で私が魅了された作品は、村上氏が失敗作だったという単行本化されていない作品の「街と、その不確かな壁」でした。
これは後の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の底本とも言える作品ですので、お好きな方は図書館のレファレンスサービスで読むと面白いかもしれません。
村上作品の全てが好みだというわけではない自分が、どうしてこの「街と、その不確かな壁」に引っかかるのか? この時期には、やはり 書くということ の問題提起をテーマとするこの物語に、卑小ながらもあれやこれやと思い巡らすことがあったのでした。
この引っかかりが腑に落ちたのは、秋山駿さんを囲む社会人も交えた数人の読書会でのこと
当時、大学生で一番年少の私に課題本選択の順番が回り『風の歌、、』を選ぶと、他の年長の皆さん(25~35歳くらいまでの5,6人)からは、総スカンに近い状態で、翻案小説だ、読むに堪えない、ポエトリーだ 云々、と酷評続き…
ぽろりと口を開いた秋山さんが
「 文學界に載ってた『街と、その不確かな壁』は読んだ?
あれはさぁ、ジイドの『パリュード』なんだなぁ。
あれは面白かったよ。よくよく考えているんだろうねぇ。 」
と、唯一の好意的なコメント
秋山さんが「街と、その、、」を読んでいて評価していたことや、私は『パリュード』は未読であっても、ジイド好きの自分の中で、この2人に繋がる示唆があり、独りごちながら安堵を感じたのです。
『パリュード』は、直ぐに古本屋で探して読んでみましたが、あまり面白い内容とは言い難く、沼地を眺めながら退屈な小説を書く男の話が、入れ子の構造になった妙な短編で、物語としては村上作品のほうが数倍面白いと感じました。
手持ちは、奥付昭和11年の古本。近年復刻版が出たようで、標題も左からの現代表記になっています。
『パリュード』の評価については、後年、杉本秀太郎氏の文章を読んで多少上がった感もあります(笑)。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)
『ノルウェイの森』(1987年)
『ねじまき鳥クロニクル』(1994年・1995年)
『海辺のカフカ』(2002年)
『1Q84』(2009年・2010年)
上記意外も、面白くサクサク読めた長編・短編、1980年からこちら
読む作業の中では、時代の中の出来事とのリンク、寓意・隠喩・暗喩を探る深読みゲームに嵌れば、物語を想い出す毎に、現実と虚構を振幅する機会を得たり
それはまた、学生から社会人になり結婚出産、親を見送ったりと、現在は、いい歳のおばさんになった自分を顧みる時間とも平行して、二重らせん構造の時間軸になっている読書体験というわけなのです。
まぁ、ここまで来てしまったからには読まずに評価はできないので、24日の新刊は、世間のほとぼりが冷めた頃にでも読んでみたいと思います。
しかし、村上作品の影響力は、底知れぬものがあって驚きですね。
『1Q84』では、冒頭に出てくるヤナーチェクのCDが売り切れてプレス待ちとか
ヤナーチェクなら、映画「存在の耐えられない軽さ」で散々使われて一躍脚光を浴びたはずなのに…若い人たちも物語に誘引されて、音楽も聴いてみたい、ということなのでしょう。
今回は題名から、オペラ『ドン・ジョバンニ』関連説も流れているようです。
68歳 世界的な人気作家となった村上氏が、どんな物語を提示してくれるのか?
今年の始めの楽しみのひとつです。