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もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

遡行の旅 錦繡の森から裸樹の森へ

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                             山の安宿の庭紅葉 2016

都内の落葉樹も随分と色めき立ち、晩秋の装いになりました。

この時期、季節がいち早く廻って来る寒い山は避けて、暖かな陽光の降る海沿いの街へでも行きたい処、人の波に呑まれることを厭う性格が先行し、結局、空いているいつもの山へ出かけることになりました。

高速道路を北に向かうと、しだいに木々の色づきが鮮やかになり、標高が上がるにつれ錦繡のトンネルの中を走ってゆくような場所もありました。サル注意の看板のあるPAは、既に上の山で紅葉が終了しているためか、駐停車輌もまばらでした。

山は、季節の異なる春であれば、こちらで5月の八重櫻が終わる頃に、薄墨の山櫻・唐紅のミツバツツジ・山藤の垂れ花・黄橙のヤマツツジが新緑に綾織りとなり、遅い春のお花見を2度楽しめるという按配になります。秋から冬はその逆となり、先行する冬を覗き見でもするような感覚と言えましょうか?

かれこれ20年以上お世話になっている宿の主人が言うには、今年の庭の紅葉は10日前後遅れ、なんとかまだ見られる状態で幸運とのことでした。

思えば昨夏以降、顕著に進行した独り暮らしの母の認知症介護のために、帰省が月1回から月2回、3回と増え、母の身元引受人たる実家近くに住む姉にも若年認知症を疑われる兆候が現れ、包括センターの母のケアマネからは、母と姉への2人の助言をいただきながらの遠距離介護が続きました。冬から春は私自身も消耗し、検査と通院が続きましたので、この遅れた紅葉は、そのあれやこれやへのご褒美なのかなと想い到ったのです。

禍福はあざなえる縄のごと ちいさな幸せはそこかしこにあるものです。

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     宿の庭のシンボルツリーカエデ ダケカンバはすっかり葉を落としていた

翌朝は真っ白に霜が降り、蒼穹の晴天となりましたので、寒さを覚悟で山の上のほうに車を走らせました。

車の外気温は4℃。木道の日蔭の小川では薄氷がガラス片のように輝いていました。夏には遠足か修学旅行の小中学生に こんちわ攻撃 を受ける木道も、さすがにひっそりと静まり、カラ類の混群か?エナガやキバシリ、またウソのような鳥の声が冬木立に響き耳をそばだてました。

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「花も紅葉もなかりけり」の冬枯れの森は、夏の暗い深山の森が別の空間のごとく明るくなります。鳥や獣のあらわれも容易になり、冬鳥のバードウオッチングには最適です。鳥見の方か?厚物ダウンジャケットに双眼鏡を携えた方とすれ違いました。また人影もまばらな中、薄着の団体さんは若い外国人の方々で、なぜかアメリカヨーロッパ系の方がほとんどでした。

森のお目当ては、最後に落葉するカラマツ林の黄葉でしたが、こちらは既に裸樹で、散り敷いた針葉が靴にびっしり着いて森の薫りを放ちました。

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とても寒かったのですが、散策の中でうつくしい裸樹の森を見ると、きまって脳内に響くのは、以前の日記でも触れているアルヴォ・ペルト(Arvo Pärt )の Tabula rasa やら Arbos です。これもまた私には映像と音楽の複合記憶であるに違いないのです。

            クレーメルの高音域が、トラツグミの囀りを想わせる

 ECMの音楽 ペルトの諧調は、なぜか 冬の音連れ を感じさせます。

 

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