もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

既 知

寿命が分かれば 人はずいぶん生き易くなるだろう

とは、ここ数年、よく耳に入るようになった俚諺です

老いて体調に不安を抱くようになった母に

その暗雲がもくもくと…老父からも愚痴混じりのTELが頻繁に入るようになった昨冬

最近の帰省は、老親の負担にならぬよう日帰りが増え

こちらが家族ぐるみの折は、ゆっくり話しもできないままの会食が多く

今回は、暇にまかせた長逗留となり

ともに寝起きをしてみないと分からない事もままあったりと

老い というものを吾が身に翻って思うところもありました

母がこの家に、長男の嫁として嫁いだのは昭和20年代の終わり

職業婦人として仕事を辞めず共働きし

当初は舅・姑・父の兄弟同居の7人家族で、家事は分担したものの

昭和30年代になるまでは炊飯器も冷蔵庫も洗濯機も無く

今よりも子育てが大変だったことは、いやというほど聞かされました

舅(祖父)が逝き、姑(祖母)が癌に倒れて仕事を早期退職

姑を見送った後は、趣味に生きたバブル期

夫婦二人になってからは、悠々自適の幸福な時間を過ごしたと思います

今回の帰省で 母はまだ平均寿命には到達前なものの、奥座敷の隅に大きなボストンが置いてあり、問うと、緊急に備えての入院セットだとのたまいましたから、この冬は覚悟もあったのですね

このところの好い気候で体調も回復したようで、ひとまず安心

自分の体調がいまひとつの時に、親が元気でいてくれるのは、おてんとさまに感謝です

今度の誕生日に米寿を迎える父が、昨年まで長らくボランティア活動をしたおかげで

実家には今でも頻繁に人の出入りがあり、先日も朝9時にはご近所から京都土産と家庭菜園で採れた野菜のおすそ分けが届きました

わたしの車を駐車場に見つけたご近所さんは

「東京のお姉さんが着てるようだから、お母さん具合でも悪いんじゃないかと思って、、」 と

心配して様子を見にきてくれた方も居りました

次々に不意打ちの来訪者がやってきて、正直、落ち着かない…と思ってはいけないのでしょう

これは、この旧市街地区の中でも、老人単身世帯が市一番だということ 

で、ご近所ともどもで声を掛け合って助け合ってもいるのですよね

南隣の老人宅では、やはり中年の一人息子さんが帰省して

ひとり暮らし老母の断捨離のお手伝いとか、車で廃品を運んでいました

予定通りにいけば、秋には甥に子どもが産まれ

父母には曾孫の誕生となり、父は米寿祝いの企画を目論んでいるようす

「 それまで 元気で生きてればね 」 と笑いながら念をおしてはいましたが

さて どうなることやら。

画像は、昭和28年頃のわたしの知らない母 アルバムから剥落し変色

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