もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

靑 宵

日 没してもなほ長い 靑いゆうぐれの刻

  

ヨハネ草 Hypericum perforatum の近種は

既に5月の終わりから咲き始めている

6月24日 は 聖ヨハネの日

ヨハネ祭の前夜には、魔女や精霊が現れるという言い伝え とか、、

さて そろそろ 仕度でもするかな(笑)

       *   *   *

前回の帰省は、3月の彼岸中

放射能の小雨が降っている、、という噂もあり、姉は帰省をやめるよう電話とメールで何度も伝えてきた

あの時、北へ向かう高速道路は宇都宮までがようやく開通したばかり

下りは、気味が悪いように空いて

反対上り車線には、被災地から戻る自衛隊車や、赤いランプを光らせて走る消防応援部隊の車がものものしく相当数見え、異常事態であることを再認識した

今回の帰省では

高速は通常に戻ったように見えたものの、

途中、仙台行きの高速バスだろう 「がんばろう仙台」 の、のぼり旗をなびかせながら、なかなかのスピードで私を追い抜いていった

帰りの上りでは、しばらくぶりに  族  のみなさまを見る

日曜夕刻の上り車線に総勢30人前後、、、ぶるん るんるん ぶるるん ぶるるん 

蛇行運転で前のトラックにバッシング

百歩譲ってもあまりおりこうそうには思えない族のみなさまのマナーに、ほとんどの車が避けるように道を譲る

しかし、トラック一台だけは果敢にも彼等の行く手を阻んで、一触即発の危機が!

族のみなさまが万が一、被災地ボランティアをしていたとしても、あの有様では水の泡だろう

震度6強弱?を記録した実家近辺では当日は一昼夜の停電

近隣では塀や墓石が倒れたものの、老親2人はなんとか無事で

ことに80歳半ばの父は、町内会の世話役の関係で炊き出し手伝いもしたという

駅近の為に、新幹線にて足止めされた難民の方も少数やってきたそうで

余震の続く中、慌ただしい数日が過ぎたそうだ

元気なのは結構だが、肝心の自分の家の片付けがおざなりなまま

前回の帰省では、買い物等の手伝いが中心であったので、今回はそのおざなりな片付けの始末と大掃除を兼ねて3日間を費やした、、、よれよれ

断捨離ではないが、80年以上生きて、引越しをした事が無い人たちの荷物は無尽蔵に近い

戸棚の中の返礼品の山、買い置きを忘れて買い足した生活用品の山

消費期限をはるかに過ぎた、中元歳暮のいただき物の山

古くなった衣類・寝具、、、、

片付け山の頂上は2、3日ではとうてい制覇できない事を知り、5合目付近で断念下山となりました。

50年近く、古家にあったピアノは

欲しいと言う父の知人に差し上げたとのこと 

こういう決断は驚くほど早い(泣笑)。

靑 宵の画像

靑 宵の画像