市 井
逃避 と 超越 って どう違うの?
二十歳そこそこの学生時代、
炎天の横断歩道を横切る刹那に交わした言葉を
ふと 想い起こす時間
それは 神の介在の問題 であると思うよ
当時は当時の、わたしの狭量なこころもちの問題にて
瑣末な現実の拘りから放たれる事を願いつつ、 苛立つ自分に
信頼できる年長の友へ 発せられた愚問、、、
卑近な親兄弟 病の祖母の下の世話もままならず、自立前の学生の身分で
何が ブンガク か? 何が 哲学 か? という、
一方のそしりにも頷き ならばやってやろうじゃないの! と反抗的に意気込んだのは若気のいたり
今となれば、わが身ひとつで抱える問題など さして重いことでもない、、
今 越し方を顧みて 今には今の迷いや拘りは浮かんでは消え 無くなりはしないものの
その対処方は すこうしずつ身に着いてきたといえよう
やれやれ
さまざまに押し寄せてくる雑事を 私のみでなく
関わる人たちそれぞれ 納得ゆくかたちでケリをつけてこそ 帰納する哲学というものだろう
ひとつひとつ声を挙げ、あちらへ奔走こちらへ奔走 手足を動かし行為とし、抱え込まず、協議し実行へ
信頼とはこうした行為の積み重ねの糧に他ならず
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先日の書評で 気になった本 『活字と自活』 荻原魚雷著
http://book.asahi.com/author/...
以下 ブログより引用 http://gyorai.blogspot.com/
「僕に、どうにか小説を書ける丈の、最低の金を与へて下さい」と綴っている。
この日記には次のような理想の生活を書いてある。
お客がきたら米をごちそうし、一品料理でもてなしたい。新刊本屋、古本屋をまわって好きな本を買い集めたい。
レコードがほしい。ウイスキーや果実酒を貯蔵したい。友達に親切にしたい。芝居や映画が見たい。
自分の生活が苦しいときに、現実を忘れさせてくれるような壮大な物語を読みたいとおもうときもあるのだが、
どちらかといえば、わたしは直視したくないような現実をつきつけられつつ、
それでもどうにかなるとおもえるような本が好きだった。
画像は蔵出し 夏休みの宝もの