もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

時 澱

すこしも地を冷まさぬ驟雨に蒸しあげられ

ひとり 平日白昼の高速に 乗れば 

一瞬 視界に映る車が 一台も無くなる時空の狭間に滑り込む

この ゆるい曲線の暗がり は 何処へ連なる

次ぎの瞬間 小癪なBMが左から右車線に急発進で追い抜いてゆき

我にかえって 再びアクセルを踏み込んだ

グールドのイギリス組曲のCDを忘れたので

ツィメルマンのバラードを爆音で聴きながらの時速120キロの爽快

週末 父の慶事に、大阪から親類数人がやってきたので 私のみ一足早く帰省

この従姉妹・叔母と会うのは何年ぶりだろう? 子ども時分の記憶ばかり、、

話の種に古いアルバムを開けば 昭和40年へトリップし、奈良ドリームランドで撮影したカラー写真に話の花が咲く

従姉妹は、病みあがりの叔母を伴って、これが最期の親孝行との小旅行のようす

70代後半の叔母は、その昔は 母方姉妹中 一番の美人で

若い頃の久我美子岩下志麻を足して割ったような人

今も もの静かで淑やかで すらりと上品な佇まいあるものの 病から来る時折の豹変は

虚言や珍行動 鷲掴みで食べ物を口に運んだり、、と 眼が離せないらしい

「わたしは、姿かたちや性格も、おとうちゃんに似てしもうたん、、」と、明るく気さくな従姉妹(娘)に救われているだろう叔母

この叔母の姉である母には これが今生の別れになるやもしれず 老姉妹の再会は慌しく過ぎた

会費制祝事の出席者は300人弱 事務方全般を引き受けてくださった方々には頭が上がらない

着宴席のうえ、振舞うことが好きな父のやり方は とんでも な持ち出しで

選挙前の政治色に利用される事だけはご勘弁願い それだけは回避できたのは幸いだが

さほど喜んでもいないような父の顔色を垣間見 一番おいしい思いをしている人の顔を見てしまうと 

なんという世の中のしくみの胡散臭さ 食傷気味になる、、

、、すべて祝事の一字に収束しようとする あまりおりこうでない人 天誅が下るぜよ!、、、

嗚呼 しかし この人塵の中で聞いた噂の中の唯一の救いは、

70年代半ば 私達姉妹に LED ZEPP を吹き込んでのち、通訳になったと洩れ聞いた兄さまが

今 プロテスタントの牧師となり、地震津波災害で荒れ果てたアジア異国の地で救援活動3年目だという

やはり 今も彼は彼であり続け、、、馬鹿なことをしている場合じゃない と自戒した。

はてさて

ひさしぶりに着た 絽の訪問着と帯は義母の遺品でありました。

着道楽だった義母の箪笥には、しつけのついたままの着物がまだまだ眠っておるのです。

丈はなんとかごまかして、裄出しは呉服屋さんにお願いし、帯揚帯締め、襦袢のみが自前

呉服屋さんの店先には、涼しげな文様の小千谷縮み・小千谷麻襦袢が飾られ

盛夏は 麻襦袢に限る と、つくづく思いマシタ。。。。

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