もえぎの日録

関心空間(2016.10.31閉鎖)から移行 日記とキーワードが混在しています 移ろう日々のことなどを記します

異 郷

五月雨の昼下り

市民による企画・運営・演奏という フォーレ レクイエム を聴きました。

6歳から80歳の方が参加しているとのこと

みなさま たぶん、全くの素人ではなく、音大出身の方や相応の経験の方々なのでしょう、、

イタリアから指揮者を招聘し、ソプラノ・バリトンソロはプロの方で、なかなか素晴らしい演奏会でした。

帰り道道  In Paradisum(楽園にて) を鼻歌で歌いながら帰宅しました。

     *   *   *

そう、、遙かむかしの小学生当時、私は市設の合唱団に入っていました。

合奏団と合唱団の掛け持ちは、なかなか忙しい日々でしたが

日頃の学校の友だちとは違った友人もたくさんできて、泊りがけの演奏旅行も楽しかった記憶があります。

先日は、またこれも不思議なご縁といいましょうか

父の旧友、OOさんが、偶然にもわがやの近くにお住まいだということを知り

父と相談しながら伺うきっかけを探していたのですが

その好機を得、便りの住所を辿り、父の伝言と手土産を携えてお訪ねすることができました。

OOさんは、実家の在る街に代々続く旧い大きな商家の地主さんで

数年前の、地銀トップといわれた銀行の破綻により、すべてを処分して人知れず東京へ転居

それでも父へは賀状だけが決まって届き、最近はその筆跡も滲むようになり

 父は 「死ぬまでに 一度 会いたい 」 と しきりに言っていたのです。

表札を確かめ 深呼吸して、お宅のインターホンを押し 用件を説明すると

突然の訪問であるにもかかわらず 返答があり すぐにドアが開けられました。

すらりとした中年の男性がドアを開け、にこやかに対応

奥から、見知った おじさま が出てこられて 声を詰らせながら喜んでくださいました。

走馬灯のよう とは、しばしの間隙をいうのでしょうか

そういえば ドアを開けた男性の面差しに、見覚えがあるようなないような、、

もしや と尋ねると、やはり私よりひとつ年上であった先輩の、OOさんのご長男でした。

かつては、機関車トーマスの駅長さんのごとき体型のうり二つの親子で

ご一家はクリスチャンのため、親子蝶ネクタイで日曜学校に通う姿は度々目撃していました。

60年代の子どもである私の街では、あまり見かけない光景でした。

そのお団子を二つ並べたようなまん丸体型だった、あのOOさんが

すらり渋い大人の男性となり 別人のように微笑んでおりました、、。

聞けば、今月末から3、4年 ニューヨークへ特派員として赴任するとのこと

彼は、従兄弟の仲良し3人組のひとりで、医学・文学・工学部と、3人はそれぞれ杜の都の同じ国立大学へ進み

この人が、大手通信社に入社したことは従兄弟から耳にしていました。

赴任前に、高齢のお父様の健康を気遣い

この日は、たまたま夕食を共にするために訪れていたということでした。

頂いた名刺には、ニューヨークの住所とメルアドがありました。

そういえば この人も、同じ市設の合唱団に居たのでした。

訪問は、わずかな時間でしたが、父とOOさんの交流は今後続きそうな予感です。

私は私で、すっかり忘れていた幼い日のあれやこれやを断片的に思い出し

当時演奏会で歌った好きな歌 「モルダウ」 も浮かびました。

大正生まれ 齢90歳に近いOOさんは、終の棲処 として東京を選ばれた。

この街には ほんとうにさまざまな人間模様が潜んでいるようです。

     *   *   *

  水上(みなかみ)は遠く 遙か

  豊かなる河 モルダウ

  月影は森を 照らし

  秋風 岸をそよぎゆく

  雁(かりがね)の声に こだまして

  泡立ち流るる 水の音

  霧とくだけ 花と散りて 流れゆけ

※ 水上遠き ボヘミア

   なつかしの河 モルダウ

  舟人の歌は 星青く

  たゆとう波間に浮かびつつ

  遠き夢の 君がもとに 流れゆけ

  野上彰 作詞  

『わが祖国』Má Vlast  モルダウMoldau(ヴルタヴァVltava)  

http://www.geocities.jp/...

画像 さきそむるさうびたち

異 郷の画像

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