香 魂
書き言葉 と 話し言葉 のちがい
もしくはその表現形態が示す世界観の違いというものは
常日頃 ここ この場所、書き言葉での日記においても、まま確認できることではあります。
年始のETV特集吉本隆明「芸術言語論]では、改めて切実に この難しさを感じ入ることになりました。
健康を害した高齢の老人の語尾は、リフレインされ
アルコールが少し入っていた私は、つい睡魔に襲われて気が付くと番組は後半に近い状況。年長の友人のように、吉本隆明著作集を書棚の下段にずらり並べていた人とは違い、私はほんの数冊を読んだ程度ではありますが、氏が懸命に語るひとつひとつは、やはりその著作にあることで、これまでの氏の思索と著述の時間を2008年7月の何時間かの講演で集大成することにはかなりの無理が感じられました。
氏が、活字ではなく声として、何としてでも言い残しておきたいという事柄の中身をぼんやりと考えながら 松が明け、鏡開きも過ぎました。
遺言 という意味では、
いつぞやの辺見庸の新日曜美術館「マリオ・ジャコメッリ」への考察に近似していることでしょう。資本との絡みの話は、7月と現在では経済の状況もかなり違ってはいますがお二人の言う事柄には共通するものを感じました。
しかしながら 私にとっての音声言語は やはり消費言語のようであり
自ら捉えられたぼんやりとした思索の雲のカタチを
明確な認識に変換するのは、活字文字 であること
活字文字から捉えられる 世界の豊穣さ を改めて考えることとなりました。
表象の言語などとなると また別の難しい問題も孕むので割愛(笑)
もちろん 活字に限らず
さまざまな媒体を通じての表現世界には眼を瞠るものが多々あります。
今年はどんなものに驚かされるのか興味が尽きません。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。