陥 穽
A nonA → A′
年齢を重ねれば重ねるほど
なかなか難しい行為です。
日曜朝からのこの番組は古井戸のようでした。
脳梗塞を患った後のような歩き方の男が病痕の遅い口調で言葉に重みを付加し、映像の後ろには バッハ無伴奏チェロかA・ペルト/ARBOSのごとき強い精神性を醸す楽曲が流れ出る
辺見 庸 マリオ・ジャコメッリへの真迫は 番組後半、既にジャコメッリを素材にして、辺見自らを鞭打ち穿ち 作るものへ観るものへ投石まがいの足元を掬うような難問の言葉が並べられた、、、。
ジャコメッリ作品と「識閾」の説明まではよかった
(「識閾」説明に飯田橋カナルカフェボート場の水際映像が唯一の笑処)
TVというメディアは意識の排泄のようなもの
今 資本の力はジャコメッリすらも取り込もうとする
ジャコメッリが描く 人の死 というようなものだけは
是非とも資本とは切り離したところにあってほしい
番組出演し発言する自らへの批判も込めて
資本にがんじがらめになる社会批判へと続き
そこから誰も逃れられないと結ぶ
そしてフモールへ やれやれ
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処方箋
<今夜のおかず思想>
大学時代の女性教師の言葉です。
ことあるごと、研究や問題点に囚われ、食事もとらず一心不乱に意識を集中させることは幸せな時間だけれど、自分には自分のため、家族のためにごはんを作る仕事もある。今夜のおかずは何にしよう、、でパタンと意識を別次元へ。これはある意味、生きるたくましさにも繋がる。穴から抜け出す処方のひとつが おいしいごはん作り ということなのでしょうね。
生きている限りは食べ続ける
そういえばこんな本もありました。
ウロボロスだな。