透 視
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確か この辺りにあったはずなのだが見つからない。
もうだいぶ前のことだから
店自体が既になくなっていても不思議はない。
web検索ができるようになって
目的の店の場所も その存在の有無も
予定があれば前もって確認できるようになった今日この頃
しかし ふらり訪れた懐かしい場所で
ちょっとお茶でも と 思いたった時
感じのよかったあの店この店にどうしても辿りつけず
歯がゆい思いをしたことがみなさまにはないだろうか。
べつだん 方向音痴ではないと自認しつつも
寒い冬には 地下通路等から地上に上がると、
とたんに方角が判らなくなる癖が私にはあるので
地下通路を歩きながらも 今はこの辺りの地下であろうと
脳内で地上の地図を頭に描きながら歩くことがままある。
しかし これは現在に書き換えられるべき記憶の問題であり
どんなに地上の地図が明晰に描かれていようとも、目印となる現実の地上の建物が新築改築を繰り返し様相が一変していようものなら、記憶の地図は用をなさない。
先日は、webのおかげで
一度行って気に入ったものの見つけられずにあったカフェのひとつが見つかった。
もう一軒 記憶の彼方にあって見つからない店がある。
繁華街の大通りに面し
大きな外階段を上がった2階の広いフロアーにゆったりとしたソファ
大島哲以の100号を超す絵が壁にずらりと掛けられた珈琲店
あの辺りにあったはずなのだが
見つからない。