筐 底
6月半ば ペルジーノ展
春先から風に靡く告知の旗 『聖母子と二天使』 が気になっていた。
ここは一昨年のプラート美術の至宝展の折にフィリッポ・リッピ作品に出逢った場所でもある。
ペルジーノ(ピエトロ・ヴァンヌッチ 1450~1523)
とりわけ私のような俗人をは熱狂的にまで魅了するにはいたらなしめないこの画家は
ラファエロの師として名高い。
2004年、ウンブリア州ペルージャ・ウンブリア国立美術館での『ペルジーノ展』の後継展覧会、もしくは、フィレンツェ:ヴェロッキオ工房での同門同時代人ダ・ヴィンチ(東博:ダ・ヴィンチ展)、ギルランダイオ、ボッティチェッリとの相関企画展覧会とも感じられた展示内容。
伊ウンブリア:ペルージャ生まれのペルジーノ画業の名声は
1470年代フィレンツェの聖ルカ組合に画家として登録したあたりからか
ローマ:サン・ピエトロ大聖堂内の無原罪礼拝堂の装飾(現存しない)
システィーナ礼拝堂の絵画装飾(ミケランジェロの『最後の審判』に取って代わり現存しない)
によって伝播され、フィレンツェ:メディチ家へも招聘された1400年代の終わり
しかし16世紀を迎えるや、ペルジーノが多用した古典主義的定型図像やモデルは短期間に忌避され、バティカン御用絵師からは解雇、故郷ウンブリアへ帰郷することとなる。
出品作の聖母や聖人に見られる特徴的なある種 呆けたごときまなざしは
世俗から離れた高貴な人々を暗に示す特有のものだろうか
宗教画であることをさておいても
同時代、ニュルンベルクで活躍し、ダ・ヴィンチとの交流もあったと言われるA・デューラー(1471-1528)のそれとの違いは余りある
当時、民衆信仰として絶大に享受されたマリア崇拝の画の使命として
万人救済 を意図する 曖昧 で たをやかな虚ろさ が必要だったのかもしれない、、
リズミックに天翔る定型天使と6枚羽に童顔天使のステレオタイプは、幾度も使用されたという諧調の画面構成が愉しい
●『聖母子と二天使 鞭打ち苦行者の聖母』
背後に描かれた 白いかずきにて跪く祈りの姿
「鞭打ち苦行者信心会」による発注の絵の代価を、信心会は支払えずにコムーネが支払ったという注記
●『聖母子と天使 聖フランチェスコ、聖ベルナルディーノ 信心会の会員たち』
この絵の代価も、ペルージャコムーネ拠出金により支払われたという
ウンブリア:アッシジは、神学者でも哲学者でもなかった聖フランチェスコゆかりの街
都市の格差社会に湧き上がった霊的回心と清貧への意思のかの説教に
民衆だけでなく聖職者たちをも巻き込んで増大した小さき兄弟会士たちの修道会の街である。
その連なりとしての 鞭打ち苦行者信心会 や 聖ベルナルディーノ信心会 をコムーネが援護し、ないがしろにはできなかった現実。
顧みれば、このアンチキリスト時代とも謂える中世に、異端とカテゴライズされてしまった運動者たちの信仰生活と悔悛への渇望に なにゆえにか現代を照射して説明のつかない意識に沈んだ時間に長らく囚われた。
参考
『ペルジーノ展』カタログ 小佐野重利論文
『中世の美術』アニー・シェイバー=クランデル 岩波書店
『西欧中世の民衆信仰』R・マンセッリ 八坂書房