寂 漠
祥さんご紹介の高島野十郎展にゆく。
http://mitaka.jpn.org/calender/...
ちいさな展覧会かと思っていたら、なかなかどうして
ひとつひとつ興味深いモチーフに魅入り、気づかぬ内に1時間以上経っていた。
はじめの部屋の自画像は、確かに岸田劉生の人物像を彷彿とさせる。
http://search.artmuseums.go.jp/...
額装も近美あたりで見た岸田作品にとてもよく似ているのに驚く。
色遣いや印象は全く違っていたが、岸田の切り通しの風景と、高島の枯れ草野の風景ともに既視覚を感じる作品などが沸々よぎる。
殊に静物は、芥子・椿・牡丹・菊の花々
葡萄・林檎・李・桜桃の配置は、計算し尽したと想えるような完璧さ
器の曲線の緊張感やリアリティはフランドル派の静物画のようでもある。
戦後に描かれた風景には、どの画にもパースペクティブがあった。
白く霞むひかり みはるかす焦点には仏教経典の教えが隠されているのだろうか。
日輪・単体の月・焔へと続く画業に物語性を感じた。
この人の描く蝋燭はみな短い 焔はながながとくゆる
ラトゥールの宗教的な蝋燭の光は対象を照らし出す事で光と影の磁場を創り出していたが、野十郎の蝋燭は自らが静謐に燈る
闇の中では影ができることなく 焔自体が静かに燈された控えめながらも凛とした意思の現れのようだ。
残された時間への夜の祈祷のごと。